log

自分用のログです。

圧切長谷部・日本号特別展示

福岡市博物館で毎年年始に行われる特別展示に伺いました。
ツイッターではうまくまとめられそうになかったので、自分用のログに使用しているブログを弄ってこちらで。
ログとしても大して機能していない面を見せてしまいそうですが、それが事実なので仕方がありません。

さて。
ずっと剣道をやってきた経歴上、日本刀は他の方よりは身近なものだったのにも関わらず、あまり詳しくありませんでした。
「美術品としての日本刀」に全くピンと来なかった。
大学も日本刀の一大派閥(という呼び方でいいのかな?)である長船を通過しながら岡山に通っていて、美術館があることも存じ上げていたものの、いざ、となると食指が動くわけでもなく。
広島城の中で多く長船の刀が展示されていたのを見て(あれは常設展示なのか企画展示だったのか忘れてしまいましたすみません)、初めて興味をもったときにはもう大学3年生でした。
当時は大学3年生の冬から就職活動が本格化する時期だったので、ひと段落して長船に赴いたのはもう4年生の夏だった気がします。
その頃は今度は卒論に追われていてあまり記憶が……。

そんな日本刀に造詣など全くない人間ですが、歴史小説が好きで、また、鎌倉時代と南北朝動乱期の政治ドロドロの地盤でたくましく花開く文化!というのが大好きだったので、刀剣乱舞に名の挙がるいくつかの刀は、名前は存じ上げておりました。
そんなこんな、圧切長谷部との出会いはおそらく歴史小説
浅井長政が好きなのだけど、長政を見たければ信長の小説を探すのが簡単で(なんたって義兄ですから)、そういった手前で圧切長谷部はわたしの中で、長政のしゃれこうべと同じくらいのメジャーなエピソードでした。必ず取り上げられるエピソードなんですね。

日本号は、もう少し素直に知っていました。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、わたしはいわゆる酒飲みなので、日本酒に纏わるエピソードは飲みの席であらゆる方にお聞きするのです。
九州といえば薩摩を始め、焼酎の産地ですが、長谷部や日本号の時代の「酒」とは、やはり蒸留酒ではなく清酒だったのではないでしょうか。
焼酎の歴史も紐解いてみたい気もしますが、なんせ、酒飲みがひたすら酒がうまい幸せを語り合う会になると、どこからともなく九州人がやってきて、普段は焼酎礼賛の癖に、急に黒田節の話を始めるわけです。
というわけで、日本号への印象は、「そこまで福島政則を扱きおろさなくてもいい」でございました。笑。

日本史にも造詣が深いわけでもなければ、美術品として刀を見る目も肥えていないままで、しかたがなしに、ミーハーエピソードと「そのうち忘れた頃にうちの本丸にも日本号だってくるから」という適当な念を携えて、新幹線に乗った次第です。

どうでもいいですが、わたしの実家の近所は黒田官兵衛に塗れています。
近所の姫路市の町が小寺官兵衛の生家であることと、ほんの鼻先に官兵衛の嫁の実家?があるためです。
そのため、事前勉強としては黒田官兵衛ウィキペディアを読み、剣道の関係者に日本刀と剣道との関わりについてなんとなく尋ね(自身と繋がりのあるものの方が心に残ると思って)、ついでに官兵衛の嫁の実家に行って説明の立て看板を読みました。
お金も時間も費やさずに何かを得ようとしてはならないという教訓でした。
特に圧切長谷部と日本号とを眺めて湧き出る情報はありませんでした。笑。


はい。
ではまず日本号。
列の流れに沿うと、日本号がまず迎えてくれる配置になっていました。

f:id:sssoarii:20160123155357j:image
f:id:sssoarii:20160123155516j:image

ちょっと写真を横向きにするやり方がわかりませんけども……。

まず、
「えっ 長っ」
って思います。

戦国時代の男性の平均身長は、栄養状態のよい身分のひとで168センチ前後だったそうなので、ほぼ身長の倍。使いづらそう……。
もうほんとに無用の長物ですね!(これは別のキャラ)
頭上に掲げれば病気が治るというような謂れもあったそうですが、まずたぶんめっちゃ重いやろ……。病人に持たせるのはきっとしんどい。

ただ、写真では難しいですが、繊細かつ絢爛な螺鈿細工が素晴らしい逸品でありました。

デジカメの写真なので、多少の拡大には耐えるかと思います(この日のためにレンズを買いました!自慢!)

f:id:sssoarii:20160123222706j:image

実用の向きには漆塗りであったそうですが、美術品・工芸品という点で本当にこの螺鈿が素晴らしい。
細かくて均一で、ひとつの手抜きも見られないさま。
御物の逸品を飾るものとしての緊張感や、誇らしさ、職人の自負が光ります。これが圧巻。
陳腐な感想ですが、正倉院展での細工匣の精密さを思いました。あれも精密で惚れ惚れしました……。

3メートルの漆黒に倶利伽羅龍の昇る刃先がある、というのも、神威のかかったありさまだったことだと思います。
それこそ、元は刀であった日本号を、秀吉が畏れおおく腰に佩けないと申した逸話の通り。

倶利伽羅龍のほどこしはこれが一番近くで撮れたかな。
展示を見る前に、博物館側から近接写真が掲げられていました。それがいちばんわかりやすかった。

f:id:sssoarii:20160123223830j:image
f:id:sssoarii:20160123223853j:image

でもね、何色と言及し切れない色に怪しく神々しく輝く螺鈿が、やっぱり本当に美しくて、それは倶利伽羅龍の鱗やまとう神気のようで、物には魂が宿るのだということをしきりに感じ入らせてくれました。
いっそ安っぽくすら見えるくらいにぴかぴかに磨かれた槍が、螺鈿の柄と鞘によってその気を押さえ込まれているのだと思うとたまりません。


そして圧切長谷部。
日本号と同じくまぁ有名なひとの手を渡り歩いていますから、こちらもただならぬ荘厳さ。

f:id:sssoarii:20160123224821j:image
f:id:sssoarii:20160123224844j:image
 
磨かれ研ぎ澄まされたさまはうつくしく凛としているのだけど、決してうつくしいだけではなく、抜き身でも存在感がものすごい。
また、鞘や持ち手等装飾品がこれがまた、うん、うつくしい。
どんな絢爛な着物を着ても、着物に負けずに佩いた刀が前に出てくるだろうなと感じます。
大事に大事に箱に入れてしまってあったのかもしれないけれど、あまり放っておくと箱を腐らせ蝕んででも表に出てきそう。それくらい、自身を主張する刀だなぁと思いました。

わたしの勝手な印象は、「悪女」でした。
とても頭の良さそうな空気があって、誰にも穢されない自分の領域をしっかりと保ち続けている。ような。ね。食われることはなく、しかし食い散らしていく。
圧切長谷部の感想が気持ち悪いのは、刀剣乱舞・へし切り長谷部がわたしのいとし子だからですごめんなさい。

銘を見せるためか、鞘と刀を別にして展示してくださっていたのが印象深いです。
銘もしっかりと目に焼き付けてきました。
黒田筑前守の名もしっっかり刻まれていて、ああわたしのいとし子は黒田のお手つきなのねと感慨に耽ったり……。

この圧切長谷部を目の当たりにすると、「押入れごと茶坊主切りました」という逸話、本当だとしたら、100に刀の力量であったことだと感じます。信長の剣の使い方が上手かったとかではなく。
刀鍛冶が、天下人のために唯一の傑作を作り上げようとして成功した例なのだと思います。
圧切長谷部、刀としての完成度が高すぎる。
これは日本号とは真逆。遣い手を無敵にする刀だと思いました。振りかぶったら刀身に後ろの敵まで映し切って、目の前の敵には持ち主の顔を映して見せつけ威嚇するような、完璧な反り。
調べると諸説ありましたが、見た印象としては、納められるために作られた刀ではなく、使われるために作られた刀だと思います。
振るった瞬間、髪の先まで神経が通るような感じがしそう。スポーツでいうゾーンに入りそう。もうね、完璧。



ここのところ、「これを作ったひとはどんなひとなんだろう」というのが、博物館や美術館を訪れる際の考えごとなんですが、それを思うと。
日本号は、精緻な倶利伽羅龍のほどこしや全身に纏った螺鈿、いまは見えない漆黒の塗り他など、槍のもつ粗暴な印象を全力で和らげていく工芸品としてのうつくしさ、刀ばかりでなりあがれなくなった時代が思われます。
身を立てる方法はひとを殺すことばかりではない、商才・人脈・技術他、シビアに成功を目指す力強さがありました。
倶利伽羅龍の鋳型を作ったひとは満を持しての大作を打ち出したのではないでしょうか。螺鈿の職人は貝のひとつひとつを眺め、精査し、魂を込めたことでしょう。
そういうの、ほんとに、どれだけの年月があっても伝わるのだと改めて思います。

圧切長谷部の、散々持て囃したあの完璧さは、もう、言葉にできない。
圧切長谷部を打った者は、打ち終わると同時に息絶えました、と言われても、納得する。
「なんでも切れまーす、触れたら切れまーす」という鋭さ、刀に最も求められていたものをどこまでも愚直に求めた結果なのだと思います。
ひたむきさと怖いくらいの信念が生んだ傑作が、あの刀なんですね。
拵えも有名らしいのですが、ほんとうに学がなさすぎて「すごかった!!」のひとことでした。面目ない。


そんな九州旅行でした。
美味しかったのは、名店「だるま」さんのラーメン♡ そして天神をうろうろしていて出会った屋台の大根おでん♡